千年昔の人も、現代人と同じように恋に悩みよろこび苦しんでいた様子が、和歌に残されています。相手に伝えられた歌もあれば、人知れず文箱の底にしまわれた歌もあるでしょう。
詠者不詳の「読み人知らず」の恋歌たちが、どんな経緯で掬い上げられたのか、妄想してみるのも楽しいものです。
思いを馳せる
笹の葉は み山もさやにさやげども 我は妹思ふ別れ来ぬれば
ささのはは みやまもさやに さやげども われはいもおもふ わかれきぬれば(人麻呂・万葉集133)
・人麻呂が石見国を発ったときの長歌の反歌
「山の奥までさやさや笹の葉はざわめくが、私は妻を想う…別れて来たから」
・心を乱れさせるかのように騒ぐ笹と、一途に妻を想う男との対比
白波のあとなき方に行く舟も 風ぞたよりのしるべなりける
しらなみの あとなきかたに ゆくふねも かぜぞたよりの しるべなりける(藤原勝臣・古今集472)
「波跡が見えなくなるほど遠くへ行く舟も、私の恋も、風がよすがであった」
・風が吹くと恋人が訪れるという俗信がありました→風の和歌(君待つと…)
・が、風頼み=想い人の噂だけが頼みの、淡い片恋ともいえます
夕暮れは雲のはたてに物ぞ思ふ あまつそらなる人を恋ふとて
ゆふぐれは くものはたてに ものぞおもふ あまつそらなる ひとをこふとて(古今集484)
「夕暮れには雲の果てまで物思いをする、遠い遠いあの人を思って」
・綺麗な喩えです。さてこれを詠んだのは男か女か…
葦辺より雲居をさして行く雁の いや遠ざかる我が身かなしも
あしべより くもゐをさして ゆくかりの いやとほざかる わがみかなしも(古今集819)
「葦辺から空に向かって飛んでゆく雁のように、どんどんあの人から遠ざかる私」
・かなわぬ恋を、秋の侘びしい景色に仮託しています
季節に寄せる
春たてば消ゆる氷の 残りなく 君が心はわれにとけなむ
はるたてば きゆるこほりの のこりなく きみがこころは われにとけなむ(古今集542)
「春が来て消える氷のように、すっかり私に打解けて欲しいよ」
・可愛らしい喩えです。音読すると春の明るさが広がるようです
我が恋にくらぶの山のさくら花 まなく散るとも数はまさらじ
わがこひに くらぶのやまの さくらばな まなくちるとも かずはまさらじ(坂上是則・古今集590)
「暗部山の桜の花弁がいかに散り続けようと、私の恋とはくらべようもない」
・「くらぶ」=暗部・比ぶ。心の奥底に思いが花びらのように積もり積もる
あひ見しもまだ見ぬ恋も ほととぎす月に鳴く夜ぞ世に似ざりける
あひみしも まだみぬこひも ほととぎす つきになくよぞ よににざりける(後撰集157)
・四月頃の月の綺麗な夜に、人におくった
「思いを遂げた恋にも遂げぬ恋にも、ほととぎすが月に鳴く今宵こそふさわしい」
・恋をするすべての人にこの夜を、という感じかしら
佐伯山 卯の花持ちし愛しきが手をし取りてば 花は散るとも
さへきやま うのはなもちし かなしきが てをしとりてば はなはちるとも(万葉集1263)
「卯の花を持っていたあの子の手を取ることができたら。花は散っても構わない」
・散りやすい卯の花と、可憐な少女の姿が重なります
・ドラマチック、映画のワンシーンを見るようです
夏虫の身をいたづらになす事も ひとつ思ひによりてなりけり
なつむしの みをいたづらに なすことも ひとつおもひに よりてなりけり(古今集544)
「夏虫も火によって身を滅ぼし、私も思ひの炎によって身を滅ぼす」
・「思ひ」=思い・火。じっと燈芯を見つめてそうでちょっと怖いです
・仏典に、火を愛して自ら飛び込む蛾の話があるそうです
かれはてん後をば知らで 夏草の 深くも人の思ほゆるかな
かれはてん のちをばしらで なつくさの ふかくもひとの おもほゆるかな(躬恒・古今集686)
「いつか離れてしまうことも考えず深く深くあの人を思う」
・「かれ」=(夏草が)枯れ・(人が)離れ(かれ)
さと人のことは夏野のしげくとも かれゆく君に逢はざらめやは
さとびとの ことはなつのの しげくとも かれゆくきみに あはざらめやは(古今集704)
「夏草のようにサーッと噂が広まったせいで疎遠になっても、それでも逢いたい」
・「かれ」=(夏野が)枯れ・(噂が)涸れ・(君が)離れ
いつとても恋しからずはあらねども 秋の夕べはあやしかりけり
いつとても こひしからずは あらねども あきのゆふべは あやしかりけり(古今集546)
「いつだって恋しくないわけではないが、ことさら秋の夕暮は胸がざわめく」
・夏が終わって秋風が吹くようになると何となく人恋しくなります
秋風にかきなす琴のこゑにさへ はかなく人の恋しかるらむ
あきかぜに かきなすことの こゑにさへ はかなくひとの こひしかるらむ(忠岑・古今集586)
「秋風にのって琴の音が聞こえてくるだけでも、あの人が恋しくなるんだよなあ…」
・‘秋の夕べはあやし’き故?→何故秋がそういう季節なのか考えると面白いです
・「久方の光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ」と同じような‘らむ’の使い方ですね
恋のただなか
恋ひ恋ひて逢へる時だに うるはしき言尽くしてよ長くと思はば
こひこひて あへるときだに うるはしき ことつくしてよ ながくとおもはば(坂上郎女・万葉集664)
・娘の夫の大伴駿河麻呂に、娘の代作をして贈った歌
「こんなに恋しく思ってやっと逢えた時ぐらい優しい事言って。ずっと通ってくる気なら」
・「うるはしき」を「うつくしき」とする本もあります
よひよひにぬぎて我がぬる狩衣 かけて思はぬ時のまもなし
よひよひに ぬぎてわがぬる かりごろも かけておもはぬ ときのまもなし(友則・古今集593)
「毎晩寝る前に狩衣を脱いで衣桁に掛けるように、何時も気に掛けているよ」
・衣桁にではなく体に掛けて寝るという説もあります
あひ見ぬもうきも我が身のからころも 思ひ知らずも解くるひもかな
あひみぬも うきもわがみの からころも おもひしらずも とくるひもかな(因幡・古今集808)
「逢えぬのも辛いのも自分のせいなのに、衣の紐が自然に解けたから期待しちゃう」
・‘も’の連続が民謡風。紐が解けるのは人に逢える前兆
涙に暮れる
わが恋を人知るらめや しきたへの枕のみこそ知らば知るらめ
わがこひを ひとしるらめや しきたへの まくらのみこそ しらばしるらめ(古今集504)
「私の恋はあの人は知らない、知っているのはこの枕だけ」
・恋しさに泣くと、涙は枕に落ちます。だから枕だけが知っているんでしょう
君恋ふる涙の床にみちぬれば みをつくしとぞ我はなりける
きみこふる なみだのとこに みちぬれば みをつくしとぞ われはなりける(藤原興風・古今集567)
「君を思い、流す涙が寝床に満ちて、私はさながら澪標」
・「みをつくし」=身を尽くし・澪標。身を削るほど涙を流すのです
・比喩をそのまま想像してみると、ちょっと間抜けで可愛いです
君恋ふる涙しなくは 唐衣むねのあたりは色燃えなまし
きみこふる なみだしなくは からころも むねのあたりは いろもえなまし(貫之・古今集572)
「あなたを思って流す涙がなかったら、とっくに胸の炎は燃え上がってます」
・‘胸の炎が辛うじて収まっているのはつれない君ゆえに流す涙のお蔭’と言いたいのだとしたら嫌味
大空に我が袖ひとつあらなくに かなしく露や分きて置くらむ
おほぞらに わがそでひとつ あらなくに かなしくつゆや わきてをくらむ(後撰集314)
「この大空のもと、袖は数多あるのに、なぜ私の袖にばかり露は置くの」
・露=涙。涙の乾く暇がないほどつらい恋をしているのです
思いつめる
我妹子に恋ひつつあらずは 秋萩の咲きて散りぬる花にあらましを
わぎもこに こひつつあらずは あきはぎの さきてちりぬる はなにあらましを(弓削皇子・万葉集120)
・異母妹の紀皇女を想って詠んだ歌
「こんなに恋に苦しまず、秋萩のように潔く散ってしまいたいのに」
・この皇子は病弱で若くして亡くなったそうです…予期していたのかしら
恋ひしきに命をかふるものならば 死にはやすくぞあるべかりける
こひしきに いのちをかふる ものならば しにはやすくぞ あるべかりける(古今集517)
「命とひきかえにあなたに逢えるなら、死ぬことなんて簡単だ」
・情熱的ですが、一歩間違うと、脅しとも取れる怖い歌です
忘れえぬ
飛鳥川ふちは瀬になる世なりとも 思ひそめてん人は忘れじ
あすかがは ふちはせになる よなりとも おもひそめてん ひとはわすれじ(古今集687)
「何があっても、好きになった君のことは忘れないよ」
・「世」=世の中・男女の仲
・変わりやすい「世」を、深みが浅瀬になることに喩えてます
紅のはつ花ぞめの 色深く 思ひし心われ忘れめや
くれなゐの はつはなぞめの いろふかく おもひしこころ われわすれめや(古今集723)
「紅の初花染めの深い色のように深くあなたを思った心、絶対忘れるものか」
・忘れないってことはもう恋は終わったんでしょうか
色もなき心を人にそめしより うつろはむとは思ほえなくに
いろもなき こころをひとに そめしより うつろはむとは おもほへなくに(貫之・古今集729)
「まっさらなこの心をあなたで染めてからは、もう心変わりするとは思えない」
・のにどうして疑うのか、というようなニュアンスでしょうか
・「うつろはむ」=(色が)移ろう・(心が)移ろう(褪めるの意)
堀江こぐ棚無し小舟 こぎかへり おなじ人にや恋ひわたりなん
ほりえこぐ たななしをぶね こぎかへり おなじひとにや こひわたりなん(古今集732)
「小さな渡し舟が行き来するように、私も繰り返し同じ人を思い続けるのかしら…」
・今まさに想いが揺れ動いているようです
いにしへになほ立ちかへる心かな 恋ひしきことにもの忘れせで
いにしへに なほたちかへる こころかな こひしきことに ものわすれせで(貫之・古今集734)
「どうしても昔の思いが胸に湧き上がってきてしまう…あのときの恋が忘れられずに」
・昔のままの心であなたを思います、ってことかしら
色見えでうつろふものは 世の中の人の心の花にぞありける
いろみえで うつろふものは よのなかの ひとのこころの はなにぞありける(小町・古今集797)
「色などないのに色褪せてしまうものは、人の心という花だったのね」
・そぶりも見せず心変わりした男を、「世の中の人」に一般化することで、辛い状況におかれたのは自分一人ではないと慰めているのかも
我を思ふ人を思はぬむくひにや わが思ふ人の我を思はぬ
われをおもふ ひとをおもはぬ むくひにや わがおもふひとの われをおもはぬ(古今集1041)
「私を思ってくれる人を思ってやらない報いなのだろうか、私が思う人は私を思ってくれない」
・世の中なかなか思うようにはいきません
遣り取りの歌
あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る
むらさきのにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに我れ恋ひめやも
あかねさす むらさきのゆき しめのゆき のもりはみずや きみがそでふる(額田王・万葉集20)
むらさきの にほへるいもを にくくあらば ひとづまゆゑに あれこひめやも(大海人皇子・万葉集21)
・天智天皇が蒲生野で薬猟をしたとき、天皇の情人である額田王が歌を詠み、天皇の弟で前夫の大海人皇子が応えた
額田王「茜さす紫野へ標野へ、あなたは私に袖を振って行くけど、野守に見咎められます」
大海人皇子「美しいあなた。厭わしかったら人妻なのに恋などしようか…恋せずにはいられないのだ」
・あかねさす…「紫」の枕詞。紫草の根から茜色を帯びた紫色が採れます
・「君」:前夫の大海人皇子。「野守」:暗に天智天皇をさすとも
・むらさきの…「にほふ」の枕詞。紫草で染めた色は匂い立つように美しい
・宴の座興歌とか。ただ、心が通じ合ってなければ詠めない歌でしょう
いたづらにたびたび死ぬと言ふめれば 逢ふには何をかへむとすらむ
死ぬ死ぬと聞く聞くだにも逢ひ見ねば 命をいつの世にか残さむ
いたづらに たびたびしぬと いふめれば あふにはなにを かへむとすらむ(中務・後撰集707)
しぬしぬと きくきくだにも あひみねば いのちをいつの よにかのこさむ(信明・後撰集708)
・信明が「お逢いできなければ死んでしまう」と言ってきたので
中務「そう度々命がなくなってしまっては、本当にお逢いする時には命以外の何と引き換えになさるおつもりかしら」
信明「死ぬ死ぬという言葉をお聞きになってさえ逢ってくれないから、もう命は残せそうもない」
・死ぬって言っても口先だけでしょ→いやもう本当に死にそう、という遣り取りだと解釈しました
・が、誤訳かもしれませんので、一般的な訳を参考のため以下に記します
中務「空々しくしょっちゅう死ぬと仰っているようですが、実際お逢いしたらその後は何と仰るつもりかしら」
信明「死ぬ死ぬと言っても‘はいはい聞きました’とだけでお逢いできないから、一体いつまでこの命を残したらお逢いできるのか」
はかなくて同じ心になりにしを 思ふがごとは思ふらむやぞ
わびしさを同じ心と聞くからに 我が身をすてて君ぞかなしき
はかなくて おなじこころに なりにしを おもふがごとは おもふらむやぞ(中務・後撰集594)
わびしさを おなじこころと きくからに わがみをすてて きみぞかなしき(信明・後撰集595)
・はじめての後朝に
中務「夢うつつのうちに同じ心になってしまいましたが、私が思うようにはあなたは思って下さらないでしょうね」
信明「この胸の苦しさはあなたも同じだとお聞きしては、もはや我が身はどうあれあなたがいとおしくてならない」
・不安を訴え怨じてみせる女に、信明のこの切り返しかた、イケメン!!