源氏物語の和歌

源氏物語の和歌 古典和歌
  1. 桐壺~藤裏葉
      1. いにしへもかくやは人のまどひけむ わがまだ知らぬしののめの道
      2. 見し人のけぶりを雲とながむれば 夕べの空もむつまじきかな
      3. 過ぎにしもけふ別るるも ふた道に行く方知らぬ秋の暮れかな
      4. 見てもまた逢ふ夜まれなる 夢のうちにやがて紛るる我身ともがな
      5. 手に摘みていつしかも見む 紫のねに通ひける野辺の若草
      6. 見ても思ふ見ぬはたいかに嘆くらむ こや世の人のまどふてふ闇
      7. 袖ぬるる露のゆかりと思ふにも なほうとまれぬ大和撫子
      8. はかりなき千尋の底の海松ぶさの 生ひゆく末は我のみぞ見む
      9. 袖ぬるるこひぢとかつは知りながら おりたつ田子のみづからぞ憂き
      10. 風吹けばまづぞ乱るる 色かはる 浅茅が露にかかるささがに
      11. あふ瀬なき涙の川に沈みしや 流るるみをのはじめなりけむ
      12. いつかまた春のみやこの花を見む 時うしなへる山がつにして
      13. 恋ひわびてなく音にまがふ浦波は 思ふかたより風や吹くらむ
      14. 見る程ぞしばし慰む めぐりあはむ 月の都ははるかなれども
      15. 友千鳥もろ声に鳴くあかつきは ひとり寝覚めの床もたのもし
      16. 秋の夜の月毛の駒よ わが恋ふる雲居を駆けれ時の間も見む
      17. みをつくし恋ふるしるしにここまでも めぐり逢ひけるえには深しな
      18. 入り日さす峰にたなびく薄雲は もの思ふ袖に色やまがへる
      19. とけて寝ぬ寝覚めさびしき冬の夜に むすぼほれつる夢の短かさ
      20. さ夜中に友呼びわたる雁がねに うたて吹きそふ荻の上風
      21. 霜氷うたて結べる 明けぐれの空かきくらしふる涙かな
      22. 年月をまつにひかれてふる人に 今日うぐひすの初音聞かせよ
      23. 春の日のうららにさして行く舟は 棹のしづくも花ぞ散りける
      24. 鶯のねぐらの枝もなびくまで なほ吹き通せ夜半の笛竹
      25. わが宿の藤の色濃きたそかれに 尋ねやはこぬ春のなごりを
      26. 幾かへり露けき春を過ぐしきて 花のひもとく折りに会ふらむ
  2. 若菜~幻
      1. 目に近くうつれば変はる世の中を 行く末遠く頼みけるかな
      2. 命こそ絶ゆとも絶えめ 定めなき世の常ならぬ仲の契りを
      3. 沈みしも忘れぬものを こりずまに身も投げつべき宿の藤波
      4. 身を投げむ淵もまことの淵ならで かけじやさらにこりずまの波
      5. よそに見て折らぬなげきは茂れども なごり恋しき花の夕かげ
      6. 恋ひわぶる人の形見と手ならせば なれよ何とて鳴く音なるらむ
      7. 我が身こそあらぬさまなれ それながら そらおぼれする君は君なり
      8. 立ち添ひて消えやしなまし 憂き事を思ひ乱るる煙くらべに
      9. 月影は同じ雲居に見えながら 我が宿からの秋ぞかはれる
      10. 見し人の影すみはてぬ池水に ひとり宿もる秋の夜の月
      11. おくと見るほどぞはかなき ともすれば風に乱るる萩の上露
      12. いにしへの秋の夕べの恋しきに いまはと見えし明けぐれの夢
      13. のぼりにし雲居ながらもかへり見よ 我あきはてぬ常ならぬ世に
      14. 夏衣たちかへてける今日ばかり 古き思ひもすすみやはせぬ
      15. かきつめて見るもかひなし藻塩草 おなじ雲居の煙とをなれ
      16. もの思ふと過ぐる月日も知らぬまに 年も我が世も今日や尽きぬる
  3. 源氏物語にあるまじき?歌
      1. 草わかみ常陸の浦のいかが崎 いかであひ見む田子の浦浪
      2. 常陸なる駿河の海の須磨の浦に 浪立ち出でよ箱崎の松
      3. 唐衣また唐衣唐衣 かへすがへすも唐衣なる

桐壺~藤裏葉

いにしへもかくやは人のまどひけむ わがまだ知らぬしののめの道

いにしへも かくやはひとの まどひけむ わがまだしらぬ しののめのみち(源氏・夕顔32)
・夕顔の君をなにがしの院に連れ出して牛車の中で一首
源氏「私には経験のない夜明けの道で、昔の人もこのように迷ったのか」
・「人」は暗に夕顔の元恋人のことを指すという説もあるらしいです

見し人のけぶりを雲とながむれば 夕べの空もむつまじきかな

みしひとの けぶりをくもと ながむれば ゆふべのそらも むつまじきかな(源氏・夕顔36)
・夕顔が亡くなり、ちょっと上の空で一首
源氏「あの雲もあの人の亡骸を燃やす煙、と思えば慕わしい」

過ぎにしもけふ別るるも ふた道に行く方知らぬ秋の暮れかな

すぎにしも けふわかるるも ふたみちに ゆくかたしらぬ あきのくれかな(源氏・夕顔44)
・夕顔に死なれ、強引に契った空蝉にも去られ、また上の空で一首
源氏「亡くなった人も去る人も別れ別れに、行く先もわからぬ秋の暮れ」

見てもまた逢ふ夜まれなる 夢のうちにやがて紛るる我身ともがな

みてもまた あふよまれなる ゆめのうちに やがてまぎるる わがみともがな(源氏・若紫60)
・父の后、藤壺宮との逢瀬のあと、宮に向けて泣きながら詠みかけた歌
源氏「こんな風に逢うことももうままならない、いっそこのまま夢の中に…」
・罪の意識に泣いているわけじゃないんです

手に摘みていつしかも見む 紫のねに通ひける野辺の若草

てにつみて いつしかもみむ むらさきの ねにかよひける のべのわかくさ(源氏・若紫63)
・藤壺への思慕が募って、藤壺ゆかりの少女を無理にでも…
源氏「紫草の根に繋がる若草を早く摘みたい(藤壺の血筋の少女が早くほしい)」
・「紫」…藤壺(の喩え)「根」…血筋「若草」…少女(後の紫上)。根ならぬ「寝に通う」?

見ても思ふ見ぬはたいかに嘆くらむ こや世の人のまどふてふ闇

みてもおもふ みぬはたいかに なげくらむ こやよのひとの まどふてふやみ(王命婦・紅葉賀87)
・源氏と藤壺の間に皇子誕生、手引きをした王命婦は双方の苦悩を知って…
王命婦「皇子をご覧になる宮も、ご覧になれない源氏の君も、それぞれ子ゆえの闇に惑う」
・後撰集「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」による(紫式部の曾祖父の歌です)

袖ぬるる露のゆかりと思ふにも なほうとまれぬ大和撫子

そでぬるる つゆのゆかりと おもふにも なほうとまれぬ やまとなでしこ(藤壺・紅葉賀89)
・撫子の花を贈ってきた源氏に、珍しくお返事を書いた
藤壺「あなたの涙のもとと思うにつけても、うとましいこの子」
・源氏は返事をもらえたことに大喜びするが、この内容は若宮がかわいそう
・古今集「思へどもなほうとまれぬ春霞かからぬ山のあらじと思へば」など類似歌

はかりなき千尋の底の海松ぶさの 生ひゆく末は我のみぞ見む

はかりなき ちひろのそこの みるぶさの おひゆくすゑは われのみぞみむ(源氏・葵110)
・祭り見物に紫上を連れて行く、その前に源氏自ら鬢削ぎしてやった時の歌
源氏「果てしない海の底の海松のように髪も身も成長してゆく姫の将来は、私だけが見届けよう」

袖ぬるるこひぢとかつは知りながら おりたつ田子のみづからぞ憂き

そでぬるる こひぢとかつは しりながら おりたつたごの みづからぞうき(御息所・葵115)
・心の離れてしまった源氏に
御息所「袖の濡れる泥(こひぢ)と知りつつ足を踏み入れてしまう田子のように、涙に濡れる恋路と知りつつ踏み込んでしまう身のなさけなさよ」
・「こひぢ」=泥・恋路 「みづ」=水・自ら。‘源氏物語中第一の歌’とか

風吹けばまづぞ乱るる 色かはる 浅茅が露にかかるささがに

かぜふけば まづぞみだるる いろかはる あさぢがつゆに かかるささがに(紫上・賢木151)
・いろいろあって寺に籠もってしまった源氏からの手紙に
紫上「秋風が吹くと浅茅は色褪せ、そのはかない露にかかる蜘蛛の糸も頼りなく乱れます」
・女人に心を乱されやすい源氏を頼みにする私も心乱れる、という事です。畳みかけるような調子が初初しい

あふ瀬なき涙の川に沈みしや 流るるみをのはじめなりけむ

あふせなき なみだのかはに しづみしや ながるるみをの はじめなりけむ(源氏・須磨176)
・朧月夜との密会が露見して須磨に身を退けることとなって、彼女におくった歌
源氏「なかなか逢えずに涙に暮れていたのが、流される身の始まりだったのだ」
・「なかるるみを」=流るる水脈・流るる身・泣かるる身

いつかまた春のみやこの花を見む 時うしなへる山がつにして

いつかまた はるのみやこの はなをみむ ときうしなへる やまがつにして(源氏・須磨183)
・実の息子である春宮(上記87・89、のちの冷泉帝)にお別れの挨拶
源氏「いつまた春の都の花、春宮の栄える世が見られようか。時流から外れた山賤の身で」
・「はるのみやこ」=春の都・春宮(東宮)

恋ひわびてなく音にまがふ浦波は 思ふかたより風や吹くらむ

こひわびて なくねにまがふ うらなみは おもふかたより かぜやふくらむ(源氏・須磨199)
・須磨に退去した源氏、秋風に泣く
源氏「波音が泣き声のように聞こえるのは、恋しい人のいる都から風が吹いてくるからか」
・「浦」と同音の「裏」=心 の意でもあることを考え合わせると…

見る程ぞしばし慰む めぐりあはむ 月の都ははるかなれども

みるほどぞ しばしなぐさむ めぐりあはむ つきのみやこは はるかなれども(源氏・須磨204)
・須磨での十五夜に、兄朱雀帝と話をした去年のことを思い出して
源氏「月を見ていれば心が慰められる。都に戻れるのは遠い先になろうが」
・「月の都」…京の都

友千鳥もろ声に鳴くあかつきは ひとり寝覚めの床もたのもし

ともちどり もろごゑになく あかつきは ひとりねざめの とこもたのもし(源氏・須磨210)
・須磨での冬、月を眺めているうち明け方になってしまって
源氏「群れなす千鳥が声を合わせて鳴く明け方は、独り床の中で目覚めても心強い」
・友千鳥は、翌春の頭中将の訪問を暗示?(と思ったけどその時彼は雁に擬えられた)

秋の夜の月毛の駒よ わが恋ふる雲居を駆けれ時の間も見む

あきのよの つきげのこまよ わがこふる くもゐをかけれ ときのまもみむ(源氏・明石228)
・明石での八月十三日の頃の月夜に、馬に乗って女性(明石の君)のもとへ向かう途中
源氏「月毛の馬よ、天駆けて恋しい都へ連れてゆけ。束の間でも(紫の上に)逢いたいのだ」
・「月毛」…馬の毛色 「雲居」=遠い都・空。言ってる事とやってる事が違う

みをつくし恋ふるしるしにここまでも めぐり逢ひけるえには深しな

みをつくし こふるしるしに ここまでも めぐりあひける えにはふかしな(源氏・澪標260)
・都に呼び戻された源氏が住吉大社に参詣した時、偶然明石の君も参詣、源氏は後で知る
源氏「身を尽くした恋のあかしに、澪標の立つ入江に来てめぐり逢った。なんと縁の深いこと」
・「みをつくし」=澪標・身を尽くし、「えに」=江・縁

入り日さす峰にたなびく薄雲は もの思ふ袖に色やまがへる

いりひさす みねにたなびく うすぐもは ものおもふそでに いろやまがへる(源氏・薄雲305)
・入道の宮(藤壺)が入寂、源氏は念誦堂にこもって泣き暮らす
源氏「夕陽の射す峰にたなびく薄雲は、喪服の袖の色に似せているのか(薄墨色をしている)」
・夕顔が亡くなった時の歌36と較べてみましょう

とけて寝ぬ寝覚めさびしき冬の夜に むすぼほれつる夢の短かさ

とけてねぬ ねざめさびしき ふゆのよに むすぼほれつる ゆめのみじかさ(源氏・朝顔320)
・庭の雪を紫上と眺めつつ昔のことを語った夜、夢に藤壺が現れ源氏は涙を流す
源氏「穏やかに眠れず目覚めても物寂しい冬の夜に、結んだ夢のなんと短いことか」
・「とけて」=(雪、夢が)解ける・打ち解ける 「むすぼほれ」と対になってます

さ夜中に友呼びわたる雁がねに うたて吹きそふ荻の上風

さよなかに ともよびわたる かりがねに うたてふきそふ おぎのうはかぜ(夕霧・乙女324)
・初恋の相手でいとこ同士でもある雲居雁との仲が露見し、逢えなくなって
夕霧「はぐれた友を呼ぶ雁の声に加え、荻を渡る風が吹きつのる夜更け」
・「友」に雲居雁、「呼びわたる雁」に夕霧を重ね合わせてます
・荻の上風といえば、藤原義孝「秋はなほ夕まぐれこそただならね荻の上風萩の下露」

霜氷うたて結べる 明けぐれの空かきくらしふる涙かな

しもごほり うたてむすべる あけぐれの そらかきくらし ふるなみだかな(夕霧・乙女327)
・雲居雁が父親の邸に引き取られ仲が絶望的になって
夕霧「霜がやりきれないほどに凍てつく明け方、空を暗くして降るものは私の涙か」

年月をまつにひかれてふる人に 今日うぐひすの初音聞かせよ

としつきを まつにひかれて ふるひとに けふうぐひすの はつねきかせよ(明石の上・初音354)
・元旦、娘(明石の姫君)のもとに松と鶯の飾りを届けさせて
明石上「歳月を待ちつつ過ごした私に、今日、今年初のお便りを下さい」
・「まつ」=松・待つ 「ふる」=古・経る 「はつね」=初音・初子(の日。小松を曳きます)
・姫と別れた時の歌は「末とほき二葉の松に引き別れいつか木高き影を見るべき」

春の日のうららにさして行く舟は 棹のしづくも花ぞ散りける

はるのひの うららにさして ゆくふねは さをのしづくも はなぞちりける(女房・胡蝶361)
・六条院での春の宴に招待された、秋好中宮付きの女房の一人が
女房「舟はうららかな春の日差しの中を行く、棹の雫も花びらのようね」
・「さして」=(日の光が)射す・(棹を)さす。『花』の歌詞はここからとったんでしょう

鶯のねぐらの枝もなびくまで なほ吹き通せ夜半の笛竹

うぐひすの ねぐらのえだも なびくまで なほふきとほせ よはのふえたけ(柏木・梅枝432)
・明石の姫君の裳着準備の一環として薫物合せをした夜の宴会で
柏木「今夜は梅の枝も靡くまで笛を吹き通そうよ」
・「鶯のねぐら」…梅の枝。梅と竹でおめでたい気分です

わが宿の藤の色濃きたそかれに 尋ねやはこぬ春のなごりを

わがやどの ふぢのいろこき たそかれに たづねやはこぬ はるのなごりを(内大臣・藤裏葉439)
・夕霧と雲居雁の結婚を許す気になり、藤の宴に事寄せて夕霧におくった歌
内大臣「我が宿の藤の色も映える夕暮に、春の名残を訪ねていらっしゃいな」
・「藤」…雲居雁(の喩え)。白氏文集の漢詩を下敷きにして詠まれた歌です

幾かへり露けき春を過ぐしきて 花のひもとく折りに会ふらむ

いくかへり つゆけきはるを すぐしきて はなのひもとく をりにあふらむ(夕霧・藤裏葉442)
・内大臣から受けた盃を手に、形ばかりの拝舞をして
夕霧「幾度涙を流したことでしょう…ようやく花開く春にめぐり逢えました」
・かなわぬ恋の涙を露に、恋の成就の喜びを開花にたとえてます。

若菜~幻

目に近くうつれば変はる世の中を 行く末遠く頼みけるかな

めにちかく うつればかはる よのなかを ゆくすゑとほく たのみけるかな(紫上・若菜上463)
・女三宮を妻に迎え言い訳がましい源氏に対し、紙にそっと書いた歌
紫上「私ったら、二人の仲がいつまでも続くと信じていたなんて…」
・自嘲気味の紫上。源氏は「はかなき言」だけどもっともだ、と評してます

命こそ絶ゆとも絶えめ 定めなき世の常ならぬ仲の契りを

いのちこそ たゆともたえめ さだめなき よのつねならぬ なかのちぎりを(源氏・若菜上464)
・上記の歌の横に書き付けた歌
源氏「命なんて絶えてしまっても、二人の仲はそういう生き死にを超えた繋がりなのだ」

沈みしも忘れぬものを こりずまに身も投げつべき宿の藤波

しづみしも わすれぬものを こりずまに みもなげつべき やどのふぢなみ(源氏・若菜上471)
・妻たちから逃れるように朧月夜と一夜を過ごし、庭の藤花に添えて贈った後朝の歌
源氏「淵に沈んだことは忘れないが、この藤波には性懲りもなく身を投じてしまいそうだ」
・「こりずま」=懲りず・須磨、「ふぢ」=淵・藤
・藤=朧月夜が美しすぎるゆえ、再び身を滅ぼしかねないということでしょうか

身を投げむ淵もまことの淵ならで かけじやさらにこりずまの波

みをなげむ ふちもまことの ふちならで かけじやさらに こりずまのなみ(朧月夜・若菜上472)
・上記歌への返歌
朧月夜「あなたが身を投げるのは本当の淵ではないもの、私だって懲りずに波をかぶりなんかしない」
・仮初めの情けを掛けられたけど、これが「まことの淵」=本気なら波を掛けられてもいいわ、ということ?

よそに見て折らぬなげきは茂れども なごり恋しき花の夕かげ

よそにみて をらぬなげきは しげれども なごりこひしき はなのゆふかげ(柏木・若菜上481)
・桜の散る中で垣間見た女三宮の姿が忘れられず、宮に歌をおくった
柏木「名残惜しい花の姿を夕影に見ました。その花は手折ることもかなわぬゆえ、投げ木ならぬ嘆きばかり茂っています」
・「なげき」=投げ木・嘆き

恋ひわぶる人の形見と手ならせば なれよ何とて鳴く音なるらむ

こひわぶる ひとのかたみと てならせば なれよなにとて なくねなるらむ(柏木・若菜下483)
・ほとんど強引に手に入れた女三宮の飼い猫が「ねうねう(寝よう寝よう)」と鳴くので
柏木「恋しいあの方の縁と思って手懐けていると…おまえなあ、なんでそんな声で鳴くのかな」
・‘な’音の連続が、絡み付く愛執を思わせ、怖い

我が身こそあらぬさまなれ それながら そらおぼれする君は君なり

わがみこそ あらぬさまなれ それながら そらおぼれする きみはきみなり(御息所・若菜下494)
・紫上に憑いていた御息所の死霊が、源氏に向かって恨み言を
故御息所「こんな姿になってしまった私はともかく、空とぼけるあなたは昔のままね」
・源氏は葵上が亡くなった時のことを思い出し、恐怖します

立ち添ひて消えやしなまし 憂き事を思ひ乱るる煙くらべに

たちそひて きえやしなまし うきことを おもひみだるる けぶりくらべに(女三宮・柏木502)
・不義の露顕を恐れ死の床についた柏木からの手紙へ、返事
女三宮「煙になってどちらが辛いか較べながら空に立ち昇り、いっそ一緒に消えてしまいたい」
・彼女の柏木への感情は、好き嫌い以前の未分化な状態。この時柏木の子を身ごもっているのも憂き事の一つ

月影は同じ雲居に見えながら 我が宿からの秋ぞかはれる

つきかげは おなじくもゐに みえながら わがやどからの あきぞかはれる(源氏・鈴虫525)
・冷泉院から十五夜の宴に招かれて
源氏「昔と変わらぬ月の姿を仰ぎ見つつも、私の境遇は変わってしまいましたゆえ…」
・「月影」…冷泉院、「雲居」=空・宮中。変わらず冷泉院を思っていたものの、なかなか参上する機会がなかった、その理由の一つである自らの老いを述懐

見し人の影すみはてぬ池水に ひとり宿もる秋の夜の月

みしひとの かげすみはてぬ いけみづに ひとりやどもる あきのよのつき(夕霧・夕霧540)
・落葉宮(亡き柏木の妻)の母が亡くなり、宮の慰問の後そのかつての邸宅に立ち寄って
夕霧「もうあの人達の姿を映すこともない池に、ぽつんと月影だけが宿っている」
・「見し人」…柏木や落葉宮の母ら。「影」=人影・月影、「すみ」=澄み・住み
・夕霧は落葉宮に懸想してますが、疎んじられています。月=夕霧とも取れます

おくと見るほどぞはかなき ともすれば風に乱るる萩の上露

おくとみる ほどぞはかなき ともすれば かぜにみだるる はぎのうはつゆ(紫上・御法556)
・夕暮れに前栽を見ようと少し起き上がった彼女を見て、喜ぶ源氏に
紫上「萩に宿る露は、風に乱れがちで置くと思う間もなく消えますが、私も露と同じ…」
・「おく」=(露が)置く・(紫上が)起く。
・結果的に辞世の歌に。少女の日に詠んだ歌と似ていますが…

いにしへの秋の夕べの恋しきに いまはと見えし明けぐれの夢

いにしへの あきのゆふべの こひしきに いまはとみえし あけぐれのゆめ(夕霧・御法559)
・紫上の葬儀を終え、野分めいた夕暮れに昔を思い出し
夕霧「遠い昔の秋の夕暮れさえ恋しいのに、もうこれきりと思われた夜明けの夢よ…」
・夕霧は生涯二度紫上の姿を見ています(少年の日に野分の風の中で・臨終の夜明けに)

のぼりにし雲居ながらもかへり見よ 我あきはてぬ常ならぬ世に

のぼりにし くもゐながらも かへりみよ われあきはてぬ つねならぬよに(源氏・御法563)
・秋好中宮からの弔問への返歌
源氏「雲の果てからでも顧みておくれ、私はもうこの無常な世に住み飽きてしまった」
・「あき」=飽き・秋。中宮に宛ててはいますが、紫上に呼び掛けるような歌です

夏衣たちかへてける今日ばかり 古き思ひもすすみやはせぬ

なつごろも たちかへてける けふばかり ふるきおもひも すすみやはせぬ(花散里・幻571)
・源氏の衣更えのために用意した装束に添えた歌
花散里「夏の衣に替える今日は、お懐かしさもお募りでしょうが…」
・更衣の装束は主に生前の紫上が用意。それを思い遣っての優しい発言

かきつめて見るもかひなし藻塩草 おなじ雲居の煙とをなれ

かきつめて みるもかひなし もしほぐさ おなじくもゐの けぶりとをなれ(源氏・幻586)
・生前の紫上からの文を焼きながら、その文の一つに書き添えた歌
源氏「掻き集めて見てももはやかいもないこの文は、あの人と同じ煙となれ」
・「かひなし」=甲斐無し・貝なし。「藻塩草」=手紙・「煙」の縁語。須磨退去時の連想から、海関係の縁語が多くなってます。紫上の一周忌も終え出家を覚悟した源氏は、身辺整理をしています

もの思ふと過ぐる月日も知らぬまに 年も我が世も今日や尽きぬる

ものおもふと すぐるつきひも しらぬまに としもわがよも けふやつきぬる(源氏・幻589)
・その年の大晦日に
源氏「歳月が流れたのも気付かぬうち、今年も私の人生も今日で尽きてしまうのか」
・藤原敦忠「もの思ふと過ぐる月日も知らぬ間に今年は今日にはてぬとか聞く」が本歌

源氏物語にあるまじき?歌

草わかみ常陸の浦のいかが崎 いかであひ見む田子の浦浪

くさわかみ ひたちのうらの いかがさき いかであひみむ たごのうらなみ(近江の君・常夏382)
・頭中将(現内大臣)の隠し子?が腹違いの姉女御に贈った歌
近江君「常陸ノ浦にある河内国のいかが崎いかにしてもお会いしたい駿河国の浪」
・歌枕などめちゃくちゃですが、結局「お会いしたい」ということを言いたい

常陸なる駿河の海の須磨の浦に 浪立ち出でよ箱崎の松

ひたちなる するがのうみの すまのうらに なみたちいでよ はこざきのまつ(弘徽殿女御・常夏383)
・上の歌に、女御に代わってお付の女房が書いた返事
弘徽殿女御「常陸国の駿河湾の須磨ノ浦においでなされ筑紫の箱崎の松のように待つわ」
・この返事に近江の君は大喜び、早速支度をして…

唐衣また唐衣唐衣 かへすがへすも唐衣なる

からころも またからころも からころも かへすがへすも からころもなる(源氏・行幸396)
・末摘花の姫は事あるごとに唐衣の歌を送ってよこすので、源氏は半分あきれて半分面白がって
源氏「唐衣また唐衣唐衣かえすがえすも唐衣だよ」
・「かへすがへすも」…唐衣の縁語。何だか‘松島やああ松島や松島や’みたい


*このページ内でのおもな登場人物(順不同・女君は赤字・よみは現代仮名遣い)

  • 源氏 =光源氏(ひかるげんじ)。桐壺帝と更衣の間に生まれ、臣籍降下した。
  • 藤壺(ふじつぼ) …源氏の父・桐壺帝の女御。源氏は少年の頃より思慕。源氏との間に冷泉帝をもうける。
  • 頭中将(とうのちゅうじょう) …源氏の正妻・葵上の兄。源氏の父方のいとこ。(「藤裏葉」の巻では内大臣)
  • 夕顔(ゆうがお) …源氏と恋仲になるも、物怪に襲われ急逝。頭中将との間に娘をもうけていた。
  • 葵上(あおいのうえ) …源氏の正妻。男児を産むも、御息所の生霊にとり憑かれて亡くなる。
  • 御息所 =六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)。源氏の父の兄東宮に入内していた。源氏に執着。
  • 紫上(むらさきのうえ) …藤壺の姪。容貌が藤壺に似ていることなどから源氏が引き取り、養育後、妻に。
  • 冷泉帝(れいぜいてい) …源氏と藤壺との間に生まれた皇子。(退位後、冷泉院)
  • 朧月夜(おぼろづきよ) …源氏の政敵・右大臣の娘。源氏の兄・朱雀帝に入内予定も、源氏と密会。
  • 夕霧(ゆうぎり) …源氏と葵上との間に生まれた男君。
  • 明石の君(あかしのきみ) =明石の上。須磨・明石に退去中の源氏が通い、明石の姫君をもうける。
  • 弘徽殿女御(こきでんのにょうご) …頭中将の娘で冷泉帝の女御。(源氏の母を苛めた人とは別人)
  • 雲居雁(くもいのかり) …頭中将の娘。夕霧の母方のいとこで妻。
  • 秋好中宮(あきこのむちゅうぐう) …六条御息所の娘で、冷泉帝の中宮。
  • 女三宮(おんなさんのみや) …源氏の兄(朱雀院)の皇女。藤壺の姪で、紫上のいとこ。源氏に降嫁。
  • 柏木(かしわぎ) …頭中将の息子。雲居雁の兄。女三宮の姉宮を娶るも、女三宮に密通、子を成す。
  • 花散里(はなちるさと) …源氏の妻の一人、六条院夏の町で夕霧らを養育。

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