朝戸あけてながめやすらむ
七夕の翌朝の歌です。本当は秋の歌ですが、便宜上?夏の絵に入れます。

朝戸あけてながめやすらむ たなばたは あかぬ別れの空を恋ひつつ(紀貫之・後撰集249)
あさとあけて ながめやすらむ たなばたは あかぬわかれの そらをこひつつ

「夜明けごろ、織女は戸を開けてうつろに眺めやっているのだろうか。
飽き足らぬ思いで別れた空の色を切なく思い出しながら」

『貫之集』によれば、ある年の七夕に凡河内躬恒から次のような歌「君に逢はで一日二日になりぬれば 今朝彦星の心地こそすれ」が送られて来、それに貫之が「逢ひ見ずて一日も君にならはねば たなばたよりも我ぞまされる」と返すという、親しい者同士による擬似恋愛的遊戯があり、「朝戸あけて…」はその翌年の七月八日朝、躬恒に贈った歌とされています。

当歌における七夕翌朝の情景描写には、上記の如き成立事情を踏まえても、先行文学―例えば七夕の歌が多くおさめられた万葉集―にもあまり見られない新味があると思われます。もちろん翌日に詠むという趣向は存在しなかったわけではなく、例えば山上憶良が七月八日夜に詠んだ「玉かぎるほのかに見えて別れなばもとなや恋ひむ逢ふ時までは」や、壬生忠岑の「今日よりは今こむ年の昨日をぞいつしかとのみ待ちわたるべき」、湯原王が七夕の翌早暁を詠んだ「たなばたの袖つぐ夜の暁は河瀬の鶴は鳴かずともよし」など散見されます。しかし貫之の歌は、織女に我が身をひきつけたうえで本朝の後朝の風景として一般化している点、ほかのどの歌とも趣が異なっています。平たく言って、ここまで翌朝の織女の心理に立ち入り(なりきり)、私的なものとして詠んだ人はいなかったのではないかと思われます。

なお七夕に「男女が会うという習慣があった」(『王朝びとの四季』) らしいことも看過できません。もし彼らの時代にもそのような風習があったとしたら、貫之と躬恒の戯れ事に一層の感興が加わったのではないでしょうか。

('06.08.04)

夏の絵5 < 歌絵 > 夏の絵7