漁り火の昔の光ほの見えて
二年ほど前に書いた文章が見つかり、せっかくなので絵にしました。

漁り火の昔の光ほの見えて 蘆屋の里に飛ぶ蛍かな(藤原良経・新古今集255)
いさりびの むかしのひかり ほのみえて あしやのさとに とぶほたるかな

「昔の漁火の光を透かし見たようだ。蘆屋の里に飛ぶ蛍に」

伊勢物語八十七段に、芦屋暮らしの在原業平らしき男が同僚たちと遠出した帰り路、芦屋のほうを見やって「晴るる夜の星か河辺の蛍かも我が住む方の海人の焚く火か」と詠む場面があり、当歌はその影響下に詠まれたといわれています(業平が漁火を見て蛍を連想したのに対し、良経は蛍に漁火を想起しました)。

ただしそれは、単純に物語の一場面を援用したわけではなく、「昔の光」にかつて業平らの生きた貴族全盛時代の光芒を重ね合わせ、オマージュを捧げている、と解釈する余地を残しています。貴種の光の薄れた時代に、古き良き時代を偲ぶよすがとして、漁り火の心象風景があり、ほのかな蛍の光がある。その光は、蛍が能動的に見せるものというより、良経の心には確かに「ほの見え」た。そんな語法の絶妙さからも、単なる本歌取り(本説取り)に留まらない陰翳を感じます。

作者は、摂政太政大臣の地位に上り詰めながらも、三十八歳の若さで急逝した人物です。彼は蛍の光に漁火―すなわち昔の光―を見ましたが、後世の私たちはこの歌の中に、彼の人生の一瞬の光輝をも見出せるのではないでしょうか。そうやって、かつての業平の如くやがては良経の存在も古典となり、和歌という文学の流れは深まりながら続いてゆく――。ふと、そんなことも思われました。

('05.07.27)

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