逢ひ見ねば恋こそまされ
古今和歌集巻第十五恋歌五の七六〇番、よみ人しらずの歌。

逢ひ見ねば恋こそまされ 水無瀬川 なにに深めて思ひそめけむ(古今集760)
あひみねば こひこそまされ みなせがは なににふかめて おもひそめけむ

「逢わねば想いはつのるばかり。
何ゆえこの恋の深みに嵌まってしまったのでしょう」

この和歌は、思った以上に解釈が難解でてこずりました。何となくの意味は分かるのですが、どうも上と下がしっくりこないで、水無瀬川が唐突な感じがする。

水無瀬川というのはこの時代、固有名詞ではなく「地下を水が流れて表面が涸れている川」(『歌枕歌ことば辞典』より)をさす普通名詞でした。そのため、表には出ないが心の内にくすぶっている恋心の比喩として詠まれることが多かったようです。ただ、この和歌の場合、普通に「水無瀬川」を詠み手の内に秘めた思いととるか、相手の浅い心の象徴ととるか。あるいはもっと単純に、水の無い川ととるか。岩波の大系では深い想いの比喩として捉えているようですが、文庫では情けの薄い男の比喩と捉えているようです。

もうひとつ気になったのは、「恋こそまされ」の「こそ」。逢えない恨めしさでなくただ恋心ばかりが増すけれど、という逆接とすると下の句と噛み合わない。困って『日本語で一番大事なもの』の139ページから185ページまでを読み返しますと、「『古今集』のなかで四割くらい、単なる強調という使い方がある」んだそうで(同じ著者の『岩波古語辞典』にも同様の記述あり)、当歌はこの四割に入るのでしょうか。よみ人しらずは概して古い時代の歌なので、この歌も逆接だと思い込んでいたんですが、中には選者が名前を隠してあえて「よみ人しらず」としている歌もあり、万葉集にも強調の意味合いの強い「こそ」が見受けられます*1。

ここでハタと気付きました。「まされ」「水無瀬川」「深めて」……これって縁語なのだ。そして、キーワードである水無瀬川を真ん中に挟んで「〜まされ水無瀬川」と「水無瀬川なにに〜」とで二つの思考の流れがあるんだ。そうだとしたら上と下がうまく繋がります。「水無瀬川のように秘めやかに思い続けていた私の心の中では、あなたと逢えないから、恨めしさではなく恋心が、水嵩ではなくまさに恋心が増してしまいました。なんで、表立って深くなるはずもない水無瀬川のような私の心が、このように深い思いを持つようになってしまったのか」と。

……解釈が間違っていたらごめんなさい(笑)

*1 万葉集4186大伴家持 「山吹を屋戸に植ゑては見るごとに思ひは止まず恋こそ益れ」

('05.10.14)

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