行く末は空もひとつの武蔵野に
題は「野径ノ月」。

行く末は空もひとつの武蔵野に草の原よりいづる月影 (藤原良経・新古今422)月の和歌
ゆくすゑは そらもひとつの むさしのに くさのはらより いづるつきかげ

建仁元年(1201)年の9月から12月にかけて、後鳥羽院によって催された「仙洞句題五十首」。参加したのは後鳥羽院、藤原良経、慈円、藤原俊成卿女、宮内卿、藤原定家で、当歌は良経が詠んだうちの一首です。

作者の藤原良経は1169年生まれ。関白九条兼実の第二子で、早くにお兄さんを亡くしたり政変に巻き込まれたりしましたが、1204年には摂政太政大臣にまで上り詰めます。百人一首91番「きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣片敷き一人かも寝む」の作者と言ったほうが早いかもしれません。ちなみに父方の叔父に慈円がいます。

奥さんが鎌倉所縁の人とはいえ、良経がじっさい武蔵野を見たことがあるかどうかは疑問です。伝え聞き思いを馳せて拵えただけかもしれない。それでも、今しも野から月が昇るような臨場感があります。武蔵野の片隅で生まれ育った私は、この歌を読むたび不思議と懐かしく切ない気持ちになります。日の落ちるまで野を駆け回り、ふと気付くともう誰もいない。振り返れば野原から生まれたばかりの白い月――。
誰かの思いが付け入ることのできる懐の深さ、大らかな歌風は、古今集の詠み人知らず歌を想起させます。あるいは漢詩に関しても高い素養を持つ彼のこと、唐様の雄大さを身に付けていたとも思われます。

この歌から約五年後の春、良経は急逝します。数え年38歳という若さでした。

('03.10.26/'06.10.10に絵を差替)

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