笹の葉はみ山もさやにさやげども
笹の葉は み山もさやにさやげども 我は妹思ふ別れ来ぬれば 恋の和歌
ささのはは みやまもさやに さやげども われはいもおもふ わかれきぬれば

「笹の葉は さやさやさやさや
心を乱せと言わんばかりに
山を揺らしてざわめく
けれど私の心は一心に妻のことを想う
別れてきた妻を」

という情況を勝手に想像して、描きました。
「さやげども」と逆接なのは‘他の女に心は移さないよ’という妻へのアピールも含まれているからなのではと思い、そのへんも考慮に入れて訳してみました。
一方で、笹の葉のさやぎを明るいイメージと捉える説もあり、その場合はまた違った印象の和歌になるのでしょう。なお、この和歌は反歌なのでおまけとして長歌も載せます。

【付記】 いろいろな本を読み返すうち、どうも私は思い違いをしていたのかもしれないと思うようになりました。このとき人麻呂は山を分け入り、笹の葉のざわめきに不安を掻き立てられています。当時の旅は飢えや死と隣り合わせであり、まして山路を行くのは相当危険であったでしょう。「それでも」、自分の旅路はともかく、残してきた妻の事が心配だ。食べ物に困らないだろうか。盗賊に襲われないだろうか。(別の男が出来ないだろうか…?!)。自分の旅の不安より、一人残した妻の暮らしむきを心配する人麻呂―そんな図式のほうが人麻呂らしいかなあ、と思った次第です(根拠はございません)。

【追記】 2003年8月『万葉集の歌を推理する (文春新書)』という興味深い本が出ました。この本によると、「み山もさやにさわけども」と訓むのが最も無理が少ないとの事で、笹の葉のさやぐ美景とそれを楽しめない人麻呂の心理を対比させて訳してらっしゃいます。「さわけども」という訓に至るまでの論証が細やかで、とても勉強になりました。

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